生まれ育った街

故郷という言葉で連想するのは山である。
日本はどこへ行っても山がある。富士山に代表されるように、遠くの山を見て哀愁に駆られる思いになる。
私は富士山の見える場所で育ったわけではないが、やはり故郷の山がある。それぞれの県に、故郷の山と拝む山がある。
私の故郷の山は、市内に流れる川の向こうにそびえ立っている。川と山のそのコントラストは晴れた日に眺めるととても綺麗だ。
山は見る人の心を映し出すと言う。心が曇っていればその山は雲に隠れ姿を消し、心穏やかで晴れ渡っていれば、青い空と共にその雄大な姿を現してくれるのだそうだ。
私の故郷の山は、実家からは見ることができないので、眺める機会は著しく減ってしまった。
数年前に故郷が舞台のテレビドラマがあって、オープニングにその山が写っていることがあった。
春夏秋冬様々な形で、である。テレビの映像であるけれど、その懐かしい山を見ているとなんだか泣きそうになった。どことなく優しく、そして厳しく、幼い頃から胸にその姿を刻んできたのである。無意識にだ。
毎日山を眺めているときは、山がそこに在ることが当たり前だから、その存在の大きさには気づかなかったけれど、その場所から遠く離れた地にいると、その存在の大きさに気づかされるのである。
私だけなのか、誰しもそうなのかはわからない。けれど、自分が故郷としている山でなくても、いろいろな日本の各地を旅行して、その先に聳える山が見えると、なんともいえない気分になる。
どことなく神々しいというか、その山に見守られているような気分になるのだ。山上様は女神様が多いというけれど、姿は見えないけれど、その場所場所の山々に鎮座されていて、山の上からじっと麓を見守ってくれているのではないか、そんな風に思えてしまう。
時が過ぎて、街は移ろい変わっていくけれども、その向こうにある山はその姿を変えることはない。だからこそ、心に残るのだろうか。