故郷の思い出

ふいに思い出すのは故郷での思い出。
年と重ねれば重ねるほど、遠い昔の記憶が掘り起こされるようだ。
自分過去を振り返ると、たくさんいろんな経験をしてきたのは、社会人になってからのように思う。全てが初めてで、刺激的で楽しかったこともあるし、辛かったこともある。
けれど楽しいことも哀しいこともふと何かの拍子に思い出すことはあるけれど、しみじみと遠い過去を探るように、じんわり思い出すのは故郷での小さい頃の記憶だ。
その記憶は後からできたものかもしれない。本当は体験していないけれど、繰り返しその風景を反芻しているうちに歪んで違う経験として頭にインプットされているかもしれない。
もしかしたら若干事実とは違うその記憶をまた思いだし、また反芻して記憶がまた塗り替えられ、自分の都合のいいように美化されていく。
美化されているから、心地がいいのか。もう二度と同じ経験はできないとわかっているから思い出すのか。故郷の記憶はあまりにも綺麗で生々しさがなくキラキラしている。
ある程度大人になってからの記憶は逆にリアル過ぎて、思い出になるまでには、まだ時間がかかるのかもしれない。もっと先になったら、その記憶も何度も思い返され塗り替えされ、美化された記憶としてまた頭の中に蓄積されていくのかもしれない。
故郷の思い出で、いつも取り出されるのは、夏の夕暮れ、母と弟と手をつないで散歩したこと。満天の星が降ってきそうな空を夜通し見上げていたこと。冬の凍えるような寒い中、落ちてきそうな空を見上げていたこと。両親とドライブへ出かけた帰り、ホタルがほんのり光っていたこと。
ここでは決して見ることができない、故郷の映像が目の裏に浮かんでくるのだ。同じ風景を今見ても、記憶として、思い出として残ることはないのかもしれない。
純粋無垢であったであろう小さい頃の記憶だから、美しく儚くそして尊いのだと思う。